第2章 凱旋(2)


前頁より





 なかでも人々をアッと驚かせたのは、時の若きフランス王の継父モン
ディジェ城主ラルフ公をはじめ、多数のフランス貴族が出席していたこ
とであった。

 式は荘厳なうちにも華麗に開催された。
戦死者や傷病者には手厚い配慮がなされた。

 英国王室の王冠や財宝や金銀の什器などは、サン・ヴァレリイでも
一部は展示されたが、フェカンでは大々的に公開された。
その素晴らしい工芸品の数々に、田舎町の領民は驚嘆した。征服を
実感させる効果が大きかった。

 ミサの後の晩餐会には、イングランド王室から持ちかえった金銀の
食器や什器が使用された。フランス王室ならばともかく、内乱に明け
暮れたノルマンディーの貴族の晩餐には、そのような高価な工芸品
を置く余裕はなかったので、参加者に大きな衝撃をあたえた。

 ウィリアム王の意図は、戦利品としての勝利感よりも、イングランド
王室や貴族が、ノルマンディーを上回る美術工芸品を楽しむ世界を
持っていることを、目に見えるもので認識させることにあった。
その意図は、確実に当たった。
領民は、ウィリアム公を、ノルマンディー公爵というより、フランス王に
拮抗するイングランド王として認知した。

 復活祭の荘厳華麗なミサや莫大な寄進や財宝の展示の評判が、ノ
ルマンディーの全土に広まるのに時間はかからなかった。
領内のあちこちの都市が、イングランド王を兼ねることになったノルマ
ンディー公ウィリアムの凱旋旅行を待ちわびた。

大頭カーンモアのあだなのウィリアム公は、大きなるボス『大頭領』と
なった。もはや「なめし革屋の孫」と囁く者はいなかった。

 しかし、嫡男ロバート王子は華やかなフェカンの復活祭と祝宴に、
鬱屈した心で出席していた。
このフェカンでは4年前の1063年に、婚約者マーガレットが夭折し
ていた辛い想い出があったからである。マーガレットは、ノルマンディ
ー南隣メーヌの領主ハーバート伯の妹であった。
メーヌとノルマンディーは、過去には境界をめぐっていろいろな軋轢
があったが、この頃はウィリアム公の庇護下にあった。

 それだけではない。祝宴では遠征に参戦した弟リチャード王子に
はノルマンディーの騎士たちが群がり、チヤホヤされていたが、留守
居の後継者ロバート王子の回りには、ぽっかりと穴があいているようで
あった。
15歳の多感なロバート王子には、屈辱的でもあった。

 そのロバート王子の顔色を窺い、近づいてきたフランスの貴族がい
た。ラルフ公であった。



「どうぞパリへ遊びにお出でください。フランス王に紹介し、歓待しま
すよ」
 ラルフ公は洗練された会話と話題でロバート王子の心を捉えた。

 酒盃を運びながら宴会の様子を見ていたウォルターの配下は、この
様子を小頭に報告した。
「しばらくラルフ公とロバート王子から目を離すな」
と、ウォルターは小頭に命じた。



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